ProgrammingのTipなど

雑記2

言葉の誤用?
ときどき言葉の誤用が話題になることがあります
役不足は本来の意味ではないとかですね
ただ個々の言葉の意味って別に法律で定められているわけでもないんですよね
言葉というのは情報伝達の手段であり
そのコミュニテイで意味が伝わるのならそれで良いのであって
言葉の意味を厳密に定義するのは難しい
別に政府が法律で役不足の意味を定義してるわけでもない
役不足を役者に対して役が劣るのがもともとの意味だと言っても
その事実もどこかの地方で民間で生まれたもので
すべての人がその意味で完全に使っていたという証拠もない
つまり正当性を主張するのは難しいんですね
言葉は太古からずっと変化し続けてきた
平安時代の言葉で喋っても今ではほとんど通じません
私は言葉は時代に合わせて変わってくれるほうが面白いと思っています
ヘッダーだけのライブラリ
C++では最近ヘッダーだけのライブラリが注目されてるようです
ヘッダーだけに書かれているとどんなメリットがあるかと言うと
gccやVC++などの環境の違いをさほど気にせず
cmakeやautomakeの世話にならずとも移植コンパイルしやすい
ということのようです
cmakeには大きなプロジェクトファイルで今までもいろいろと苦戦させられた経験があるのでこれは大歓迎ですね
もともとC++がヘッダーとソースに分ける形式なのは
コンパイル時間を短縮する効果も求めてのことだと思います
しかし昨今ではマシンの性能も大幅に向上して
よほど大きなプログラムでもない限り
コンパイル時間をさほど悩むこともなくなってきました
このヘッダー中心のスタイルが流行ってくれるといいですね
認知論理

スマリヤンによる新しい論理
古典論理の公理に次の公理を足す

公理1:AならばB であることを信じ、Aを信じるならば、Bを信じる (信念の公理化)

公理2:Aを信じるならば、Aを信じること自体を信じる (自意識・自我の公理化)

推論規則:「Aである」ことから、「Aを信じる」ことを推論する



推論規則は、与えられたAが真であればAを知るとも解釈できる




自分を無矛盾だと信じるX

R

RはXに

「君は私が嘘つきだと信じる」という

Xは

「Rは正直だと仮定する」

なので

R発言は真である

推論規則により

Xは

「Rが嘘つきだ」

と信じる

公理2により

「Xは、Rが嘘つきだということを信じること」自体をXは信じる

XはRが嘘つきだということを信じるのだから

XはR発言の否定を信じる

公理2により

「Xは、Rが嘘つきだと信じないこと」自体をXは信じる

これは矛盾となる

また、

Xは自分は無矛盾だと信じているので

Rは正直だという仮定を信じない

推論規定により

Xは、Rは嘘つきだと信じる

しかし、これは

Rの発言であるため矛盾する

そこでXは、

Rは正直だと信じます


この時点で

Xは自分が無矛盾であることを信じられなくなる

「相互言及のパラドックス」
行列の乗算の非可換性はどうやって生じるのか

A B
1 2 3 1
2 3 2 2

行列の乗算は横×縦なので

A × B は

7 5
12 8

B × A は

5 9
6 10

となる

行列の乗算は行列の各行や各列を
ベクトルとみなして分解して
ベクトル同士の内積して
行列に作り直す

Bのような非対称な行列は
2つの行ベクトルと見なせば
[3 1]

[2 2]
であり
2つの列ベクトルと見なせば
[3 2]

[1 2]
になり2つとも全然違うベクトルになってしまうのだから
当然答えも違う

2種類のベクトルへの分解の仕方があるから
非対称の行列は1つで2種類のベクトルを生み出す

なぜ2種類も分解の仕方があるのか
と考えると
結局多次元の数だから
ということになるだろう

2次元のものを1次元に落とし込んで計算するから
2種類の分解方法が生まれる

高次のものを低次元に落とし込み、それがなおかつ非対称性のものであれば
そこに非可換性が生まれる


しかし加算減算では非可換は生まれずなぜ乗算では非可換になるのか?




不完全性定理と不確実性原理の共通点

不完全性定理も数学の外側の高次の超数学を数学内部の算術に落とし込んで
パラドックスを生み出す

不確実性原理も高次の行列をベクトルに落とし込んで乗算するから
非可換性が生まれる

パラドックス = 非可換性
なのか

いや
非決定性 = 非可換性
なのかもしれない

2つの行列の乗算を運動量と位置(時間)にみなすと曖昧さが生まれ不確実性原理になる

しかしこの2つはフーリエ変換でつなぐことが可能

非可換の曖昧さが確率になる

もし人間の意識が高次のものであれば

行列の低次元落とし込みを高次元に戻すので

波動関数を収縮できるのではないだろうか

非可換性はブレード群でも生まれる
1951年
ゲーデル「人間精神はいかなる有限機械を上回る」
「人間精神は脳の機能に還元できない」

講演とノートによると

チューリングの人間機械論は
人間のあらゆる思考を
アルゴリズムに還元できる
という主張

停止性問題は
「全ての真理を証明するチューリングマシンは存在しない」
と言い換えることができます


この不完全性定理と等価の停止性問題で
チューリングマシンの限界を人間は証明したが
もし人間がチューリングマシンであれば
自身の限界を示す自身の矛盾を扱えないので
証明できないはずだ

(なぜなら第2不完全性定理により
体系内部の無矛盾を体系内で証明することはできないはずだからだ)

なので不完全性定理を証明したこと自体が
人間はチューリングマシンより優れていることの証拠だ

人間の思考には
アルゴリズムに還元できない部分がある

オックスフォード大学のジョン・ルーカス
はこれを再編した

ペンローズは

仮に人間をチューリングマシンだと仮定すると
数学者の思考も一定のアルゴリズムに基ずくはずです

数学者全員が同等の普遍的アルゴリズムに従うはずです

でなければ数学者は
彼の理論を伝達できず
数学の普遍性を説明できない

しかし
ゲーデルは
その普遍アルゴリズム自体の不完全性を証明でき
ほかの数学者もそれを理解できる

ペンローズは
これを矛盾と見なし
人間はチューリングマシンではないと結論する

不完全性定理は

自然数論を対象にしているが
これは数学の基礎にあたるので
数学全体にこの定理は当てはまります

また物理学などの多くの学問体系は
数学を表現手段に使い
自然数論を使うのでこれにもあてはまる

自然や機械も物理学の法則にのっとっているので
これもあてはまる


一定の公理と推測規則を含み
無矛盾で
自然数論を含む程度に複雑な体系
が不完全性定理の対象






アロウの不可能性定理

社会科学の不完全性定理

コンドルセのパラドックス

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